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水の流れ - Living water - Mikito Hyakuno 写真集

¥5,500 税込

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「水の流れ」 ~Living water~ by Mikito Hyakuno
This is Mikito's first personal photo book.
Book title comes from a literary book by Clarice Lispector.

「水の流れ」 ~Living water~
100 pages, size : 18.2×24cm, 150copies
Cover art by Taikou Kaneda
printed by inuuniq

「わたしが存在する」が世界であり、時のない世界。大自然や大量の人々を目の前に非日常的な旅の写真という枠の中で、何処に自分は位置しているのかを常に意識され突き付けられた。この水の流れという写真集は様々な事象たちを目撃して、芽生えた意識たちが、多様なモチーフらとで構成。わたしが撮っているのは空気の音楽。世界の形成。やがて存在するものが、少しずつ近づいてくる。そしたらすでに存在している。今回、左ページにアメリカのロードトリップ、右ページにはインドでの一人旅でレイアウトを一定のリズムで鼓動するよう固定。一重に極端に違く、分断されているかのような対象らでも、そこにはまた別のストーリーが流れる。片方がわたしだったら、もう片方は貴方。比較対象ではなく、対話でもある。そこに自分がいたことによって写真になり、それが見ている貴方のまたその別の話に繋がってくる。それも偶然のようで必然だったりする。
 3月のインド旅の寝台列車で写真フォルダーを整理していた時に、2018年のスクリーンショット履歴から出てきた「クラリッセ・リスペクトル」という作家に再び出会い、"水の流れ"という本の日本語訳が帰国後に発売され、読み進めていると今伝えたい言葉たちだった。タイトルはそこから拝借しています。自分自身の等身大な本。自己紹介のような卒業文集のような。自分と出会った事がある人、これから知る人にも見てほしい本です。時が廃絶しても、これを書いてることも読むものではなく、存在するもの。

「わたしは自由なのだろうか?どうでもいいようなものになお捕られている。あるいは自分をそれに繋ぎ留めているのだろうか?こういうことでもある。すべてと結合しているからといって、わたしは完全に自由であるわけではない。というか、ひとりの人間はすべてである。自分を担ぐのが重いわけではない。単純に、自分を担ぐわけではないから。人は自らとして存在し、同時にすべてである。どうやらわたしは初めて物々のことを理解しようとしているらしい。自分を超越しないために、わたしは物々に到着しようとしていないだけのようだ。自分を若干怖れている。信頼できる人間ではないし、自分の偽の力に猜疑を抱いてもいる。これは、能わざる者の言葉。私には何も操れない。自分の言葉たちさえも。でも悲しくはない。陽気な謙虚さを感じる。わたしは傍に生きている。入ってくる者の左側にいる。そしてわたしの中で世界が身悶える。このあなたへの言葉は、雑然としているだろうか?そうでないことを望む。わたしは雑然とした人間ではないから。むしろわたしは万華鏡のよう。魅惑的に煌めく自分の変貌を、わたしは万華鏡のようにここに書き留める。自分を深掘りするため、少し休もうと思う。またあとで戻ってくる。」
-水の流れ-より一部抜粋



写真集後書きより
「旅をしていると、非日常的ではあるけれども自然と其々の地で似た光景が想起されたり、デジャヴが多々ある。また偶然出会ったはずの人や対象も振り返ってみるといくつもの順が廻って出逢うから必然であったりもする。それは今まで自分が積んできた行いが善悪ともに導き導かれることでやってくるのだ。
生きていると日常だけでは明らか物足りないのだが、日常の地続きでならないと地に足がつかない。非現実的体験ばかりでは中心が穴が空いている状態になる。非日常の中の日常あるいは日常の中の非日常。やはり旅は暮らしそのものでもあり時より超えてくるそのものを受け入れることも必要とされる。心で受け止める幅が広くなればなるほど、すなわち命で遊んだ数だけ人は逞しくなる。これは1人の写真小僧の残物にしかならないかもしれないが、私が貴方に話したい話はそのまま貴方の中の話にある。これは、私があなたが存在するのを妨げない。その代わりにだからあなたも私が存在するのを妨げないで欲しい。今日の話をしている。その瞬間はまた過ぎ去って、また過ぎる。永遠というのは耳障りだ。存在するすべてのものは、始まったこともない。分断よりも調和を。ある種の流れや循環は、あなたが見てる今に届くかもしれない。」

Living Water
Afterword
When I had a jurney, I naturally recall similar scenes in each place, even though out of the ordinary, and often have deja vu. Also, when I look back, I realize people and things I met by chance were inevitable because I met them in many different orders. This comes about because the actions I have accumulated up until now, both good and bad, have guided me.
It is clear that daily life alone is not enough, but I cannot get my feet on the ground unless I am connected to the everyday. If I only have unrealistic experiences, I feel like I have a hole in my center. The everyday in the extraordinary, or the extraordinary in the daily life. After all, travel is life itself, and it is also necessary to accept the things that transcend time. The wider the scope of what you can accept in your heart, that is, the more you play with life, the stronger you become. This may only be the remains of one photo boy, but the story I want to tell you is in your story. This is not me preventing you from existing. In return, I would like you not to prevent me from existing. I am talking about today. That moment will pass and pass again. Eternity is harsh. Everything that exists has never begun. Harmony over division. A certain flow or circulation may reach the present you are looking at.

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